八幡社(はちまんしゃ)
八幡神(誉田別命(ほんだわけのみこと):応神天皇)を祭神とする神社で、大分県宇佐市の宇佐神宮(宇佐八幡宮)が総本社です。
古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきた神社で、神社本庁が行った「全国神社祭祀祭礼綜合調査」のでは、全国で一番多い神社で7,817社で断トツ。
2位が伊勢信仰の4,425社という結果からも、日本一知名度の高い神社といえます。
1位 八幡信仰
2位 伊勢信仰
3位 天神信仰
4位 稲荷信仰
5位 熊野信仰
ところが八幡神は、記紀(古事記・日本書紀)といった日本神話のなかには登場していません。
文献として初めて登場するのは737年の「続日本紀」です。その後、応神天皇と習合し皇祖神となり、さらに源氏の氏神となることで信仰範囲を広げていきました。
さらに仏教の菩薩としての役割も担うようになり、朝廷より「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」の神号をいただき、全国の寺の鎮守神として庶民層にまで広がったそうです。
どんなご利益があるの?
応神天皇が弓の名手だったといわれていたことから「弓矢の神」と崇められるなど、武家との関わりがとても強い神様です。
そのようなことから「武の神・出世開運の神」として崇められ、現在は武道ばかりでなくスポーツなどにもご利益があるとして信仰されているそうです。
また、学業教育、交通安全や健康、所願成就のご利益もあるとされています。
鹿手袋八幡社の歴史(埼玉県神社庁:埼玉の神社より)
歴史は古く、もともとはもう少し先にある宝泉寺(南区6-3-15)の境内に祀られていたと伝えられています。
本殿内に奉安されている八幡大明神像の台座には「宝永7年(1710年)」と記されており、おおよそ300年前、第6代将軍 徳川家宣の頃から存在していたことが分かります。
神仏分離令(明治元年:1868年)以降に、当時の永堀家の鬼門除けとして宝泉寺より現在の場所に移り祀られてきたといわれています。
江戸期の歴史を残す「風土記稿」鹿手袋村の項に「日月宮 村の鎮守なり(中略)八幡社、第六天社共に宝泉寺の持」とあることからも、江戸期の村の鎮守は日月宮だったと記されています。
現在、同じ境内にある須賀神社も神仏分離により宝泉寺から移されたこともあり、明治期に入ると日月社に代わり鎮守として意識されるようになったそうです。
昭和22年(1947年)に傷んでいた本殿を改築し、現在に至っていますが、傾きや老朽化も目立つようになり、令和4年(2022年)基礎からの建て直しとして計画が進められています。