鹿手袋の御神輿の紹介

御神輿(おみこし)は、神様の乗る輿という意味で、普段は神社にお鎮まりになっている神様に夏祭りの際一時的にお遷りいただくための乗りものです。

神様を乗せた御神輿をその地域で暮らす人が担ぎ、地域を渡御することで、神さまと地域で暮らす人とが一体となり、私たちは祭りを通じて活力を得ることができ、氏神さまもこうした人々の姿を見て喜び、渡御する地域の各家々に御神徳を与えてくださると信じられています。


【鹿手袋御神輿 基本情報】

  • 総重量:約500kg
  • 全高:1.5m(鳳凰から輿まで)
  • 製造時期:昭和56年(1981年)6月
  • 宮師 市川芳雄氏 作


普段は鳳凰や飾り紐、鈴、提灯などの装飾品や担ぎ棒を外し、こんな感じで収まっています。



夏祭り時には、縦6本・横2本の担ぎ棒を組み・担ぎ上げ、鹿手袋を練り歩きます。

通常おおよそ40人ほどで担いでいますが、詰めれば50人は担げると思います。



神輿新造記念碑

鹿手袋会館向かって左側、さくら公園との間にある大きな石碑に鹿手袋の御神輿のことが書かれています。

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神輿新造記念碑

当地須賀神社は素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀神として毎年一回地区内を渡御し、五穀豊穣、悪疫退散、人心安定、家内安全を守護して下さった霊験灼たかな神社である

旧御興建造時期は不明であるが資料に依ると徳川時代初期のものと推定される

いかに当時の名手の作と云えども、永い年月を経過したため損傷甚しく

渡御にはたえられなくなった現在、氏子総代、若者世話人、自治会長等相談

地域全体の総意により新造を決意新造委員会を設置し直ちに宮師市川芳雄氏に着工を依頼

昭和五十六年六月二十日見事に完成しこれの引き渡しを受け同月二十八日新造式典を行い

七月十二日渡御の行事を盛大に挙行し得られたことは須賀神社の御威徳と、地域住民の敬神の念の賜であることを後世の人々に伝えるためこの記念碑を建立した次第であります

 

昭和五十六年七月吉日

撰文 永堀文司

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石碑には、昭和56年に鹿手袋のみなさんの協力により、今の御神輿が新造された事が記されています。

それまで使われていた御神輿は「徳川時代初期のもの」と推定されていますが、関係する資料は残っていません…
唯一残っているものとして、旧神輿格納庫の一部に修理完了の記録として下記の墨書がありました。

文化拾壱年 甲戌年六月吉日
江戸小傳馬町 河口屋
金具職修理依頼ス

造直大治工
寺尾重治郎・田口平次郎・永堀久八

文化11年(1814年)に修理ということを考えると、制作はそれより相当前… 江戸中期からと考えても“200年以上”使われていたことになりますね…驚きです!

今の御神輿は2021年でやっと40歳。まだまだ若いですね。

 

ちなみに、石碑に書かれている「須賀神社」とは、八幡社境内向かって右側の社ですが「スサノオノミコト」が祀られていたなんてご存知でしたか?

夏祭りの際には、須賀神社にお鎮まりになっているスサノオノミコトの御霊を御神輿に移して担いでいます。

そんな御神輿ですから、担いだり・記念写真を撮ったりと、お祭りに参加することでたくさんのご利益がいただけそうですね!