第六天社(だいろくてんしゃ)
鹿手袋会館と祭器庫の間にひっそり立たずまわれている第六天社。
あまり聞きなれない名前の神社ですが、その昔関東を中心にたくさんあったそうで、もともとは「第六天魔王(だいろくてんまおう)」が祀られていました。
第六天魔王とは仏教における強大な魔王で、ヒンドゥー教のシヴァ神が起源といわれています。
仏道修行を妨げている魔王と恐れられ、織田信長が第六天魔王を自称したという伝承でも知られています。
明治時代に行われた「神仏分離令(明治政府が1868年に出した神道と仏教を分離する命令)」によって多くの神社では、改称・御祭神の変更が行われました。
その際、神社に祀る神は、記紀(古事記・日本書紀)の神話に出てくるものが好ましいということで、「第六天」という名前から、記紀で第六番目の神とされる、面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)を御祭神にと変更されたそうです。
改称した神社も多く、現在「第六天」の名が残っている神社はとても珍しく、東北・関東・中部に数えるほどしか残っていません。
どんなご利益があるの?
きっと昔の人々は、第六天魔王を信仰することでその強大な力によって災いを除き、御利益を得ることができると信じていたことから無病息災、疫病退散や願望成就などがご利益と考えられます。
神社庁の登録では「第六天社」となっていますが、石碑や鹿手袋の古い文献などでは「大六天社」となっています。
詳しく分かり次第ご紹介したいと思います。
第六天社の歴史(埼玉県神社庁:埼玉の神社より)
元は今より西に50mほど宝泉寺よりの竹藪の中に祀られていたそうで、その当時は竹藪の入り口で手を合わせる方も多かったそうです。
昭和34年以降に行われた農地整理に伴い現在地に移転し、昭和56年その傍らに鹿手袋会館が建設されました。